第4111回
なぜ大事業の相続ができたのか、そのからくりは?
東急、西武、更には阪急でも、
人を電車に乗せて運ぶのが仕事ですから、
毎日のように現金収入があります。
そのお金を扱わせてもらうために
どこの銀行でも喜んで取引銀行になり、
私鉄の資金の面倒を見るだけでなく、
その要求に応じて、不動産会社からデパート、
映画会社、さてはホテル、スーパーに至るまで
次から次と時流に乗った仕事をはじめると、
銀行は私鉄の要求に応じて資金を提供し、気がついて見たら、
私鉄は戦後の新財閥として見る見る大成長しました。
そのトップを打ったのは阪急を創設した小林一三ですが、
そのコピーに徹した五島慶太でも堤康次郎でも、
事業に成功すると一家の財産を長持ちさせるために
所得を発生させずに財産を形成する事業に
力を入れるようになりました。
それがプリンス・ホテルやスキー場になったりしたのですが、
資産づくりについては五島家より堤家の方が
徹底していたと言ってよいでしょう。
それが財産保持の手段として成り立ったのは
(1)不動産を中心として
所得を発生させずに資産の値上がりに力を入れたこと。
(2)それに見合う借金を併存させたこと。
なぜならば相続に際して不動産の評価は
時価の4割で算出するのに対して、
銀行の借金は時価の7割まで可能だったからであります。
たとえば時価10億円の土地に対する
相続財産としての評価は4億円ですが、
借金を7億円にしておけば、実質財産は3億円であるにも拘わらず、
相続上は3億円の負債を抱え込んだことになります。
それを積み重ねて行けば実質300億円の資産があっても
400億円の負債を抱え込んだことになります。
それに私鉄や不動産会社の株に借金がなかったとしても、
遺産は合わせるとツーペーになって、
息子たちはオヤジの地位をそっくり相続することができたのです。
但し、そのためには不動産を売らないことと
借金を返さないことを多分、先代は遺言を残している筈です。
それを堅実に守ったために、
時代が変わると相続人たちは
全財産を失うことになってしまったのではないでしょうか。 |