第3956回
あわてる投資家は金持ちになれない
「あわてる乞食はもらいが少い」と昔から言われています。
私は台湾の生まれで、
小学生の頃、親に連れられて毎年1回、
岡山というところにある有名なお寺にお参りに行きました。
山門を入って本道まで辿りつくのに
曲りくねった長い参道を登りますが、
その通り路に乞食の大群が列をなしていました。
乞食に小銭をくばるのは子供の仕事で、
父はお札を銀行で小銭に交換し、
子供たちに「可哀そうな人にはたくさん、
何でもない人には少しでいいから」
と言って分配の係りを命じました。
私は自分なりの判断で、
手足の不自由な、見るからに気の毒な人には多く、
乞食なんかやらなくても食べて行けそうな人には銅貨1枚だけと
配って歩きましたが、
同じ乞食でも元気そうな連中は、
お金をもらうとすぐに姿を消して裏道を駈け上がって、
また私たちの前で哀れな声をあげます。
子供だってそのくらいの見分けがつきますから
「さっきあげたじゃないか」
と言って無視すると、
ムッとして手をひっこめます。
いくらあわてて走っても、
そんなに見入りは多くならないのです。
それと同じように株で値ざやを稼ごうとする人は
そんなに大きな稼ぎができません。
私が自分の買った株を紹介すると、
それに提灯をつける人も少くないので
少々値上がりします。
でもそれが持続するとは限りません。
逆に値下がりすることもあります。
値ざや稼ぎを株式投資と心得ている人は
ちょっと下がるとあわてて投げて損をします。
するとそれを私のせいにして、
私や私について投資をした仲間たちを恨んだり、
憎まれ口を叩いたりします。
でも私は株を売るどころか、
ナンピンをかける側におります。
どうしてかというと鞘取りには全く興味がなく、
その会社の成長に賭け
それが形になるまでに平均して3年くらい、
長いのは5年かかる覚悟をして投資しているからです。
1円か2円あがっても売買することを
昔、兜町では芝刈りと言っていましたが、
芝刈りは何十回やっても金持ちにはなれません。 |