| 第3886回台湾を見れば将来の中国がわかる
 どうして私がコーヒー豆の栽培を思い立ったかと言いますと、中国人はまだ貧乏だから
 1杯が昼食より高いコーヒーには手が届かないけれど、
 将来、豊かになったら必らずコーヒーを飲むようになると
 確信していたからです。
 私が叛旗をひるがえして国賊扱いを受けていた台湾の国民政府が国連を脱退して孤立した今から38年前、
 私と話合いついて、24年前ぶりに私が生まれ故郷に帰った時、
 台湾にはコーヒーを飲む人はほとんどいませんでした。
 台湾に進出していた上島珈琲が引き揚げた後を
 台湾の人が受けついでいましたが、
 コーヒー店は数えるほどしかありませんでした。
 多くの人が台湾から逃げ出す時に私が台湾に帰って来てくれたので、私が台湾で投資していることがわかるようにしてくれないかと
 政府の要請もあって、
 私は台北市の一等地に10階建のビルを建てました。
 当時、台北で一番高い建物はそのお向いにある5階建でした。
 新しい建物に客を呼ぶためにその1階と2階を使って
 石原裕次郎の店をつくってもらいました。
 コーヒー1杯が当時の台湾元で500元、
 女工さんの1ヵ月の給料がまだ1000元だった時のことです。
 あまりもの値段に。
 「邱永漢は台湾の経済建設のために帰って来たと言うが、
 本当はコーヒーの飲み方を教えるために帰って来たのではないか」
 と新聞で揶揄されたことがあります。
 それがどうでしょう。台北においでの方はおわかりのように、
 今の台北はここもかしこもコーヒーハウスだらけで、
 1つの町並みに少くとも10軒のコーヒー店が並んでいます。
 北京や上海だってもう少したってサラリーふえ、
 皆が豊かになったら、
 コーヒーを飲む人が台北に負けないほどふえる筈です。
 それなら今からコーヒー豆を植えて
 その時に備えてもいいのではないか。
 そう考えて保山というコーヒーの産地で山を切りひらくことから
 スタートしたのです。
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