中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3640回
10年で地方で成功者になった時代も

日本で工業化が起ると、
最初は大都市の周辺からはじまりましたが、
すぐに全国的規模に拡がりました。
たまたまその時期に私は
「経済問題の先生」ということになったので、
地方の経済団体や銀行、証券会社に頼まれて
講演してまわったのです。
私の場合は1日に1回が限界で、
月に15回もやるとヘトヘトになったので、
一番多かった時でも年に180回、
日本全国を隅から隅まで講演をしてまわったことがあります。

私が地方の講演に行くと、
主催者の人が地方の飛行場か、駅まで迎えに来てくれます。
来るのは大抵、その団体で
一番上等の自家用車に乗っている社長にお鉢がまわります。
そういう社長が自分で運転する車の隣りに坐らされて
講演会社まで行くのですが、
その30分か、1時間の間に、
私は根掘り葉掘り
その人の経営する会社の事業内容について質問します。

そういう新車の持主は
自分で運転するくらいですから大抵が40才前後で、
そのグループ、もしくは市町村で一番の顔役になるまでに
10年くらいしかたっていません。
その仕事の内容をきいて見ると、
第一はその土地の労働力を使って世界中、
もしくは日本国中に売れる商品をつくることに成功した人。
第二に観光地の場合は、
その土地に日本国中の人を呼び集めて来て
お金を落してもらうことに成功した人。
そして第三は、土地の商店街の大半の仕事を独占してしまった人、
つまりスーパーの経営者、ガソリン・スタンドの経営者で、
昔からある材木屋や造り酒屋や宿屋のオヤジさんが
まだ大きな顔をしている町は
大した町ではないということになります。

そうした地方都市で、一番の顔役にのしあがるのに
10年あれば間に合ったのですが、
そうやって築いた地位はその人の働き盛り、
即ち30年くらいは続くのが常識でした。
人の築いた事業は戦後でも大体、
その人の一生くらいはもったのですが、
それがどうやら途中で中折れする
怪しげな雲行きになってしまったのです。


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2010年2月26日(金)

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