中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3550回
中国人も日本人に劣らずコーヒー族です

私が戦後、小説家になるべく香港から東京に戻ってきた頃、
神田の古本屋の町に
ジャズ喫茶と称するコーヒー屋が何軒かあって、
ベレー帽をかぶった一見、
文化人風の人がよく出入りしていました。
そのうちに銀座にも次々と喫茶店ができ、
その中でも銀馬車という名の店が突出して人気を呼んでいました。

そのうちに日本経済の発展と共に、
日本国中にコーヒーハウスができ、
気がついたらコーヒーの焙煎を専業とする会社が
何社も株を上場するようになり、
コーヒー店は一軒一軒は小さくても
数で言えば飲食業を代表する大産業にのしあがっていました。
コーヒーの栽培は日本では沖縄県で僅かに試作される程度ですが、
コーヒーの消費国として日本はどこの国にも負けない
スケールの大きな国にのしあがりました。

私が台湾の政府と妥協して、
国連から脱退して政治不安におち入っていた
台湾に戻った今から37年前、
台北には上島コーヒーが遺して行った小さな店が
1、2軒ある程度でした。
私は台湾政府に頼まれて経済成長の音頭取りをした1人でしたが、
中山北路の繁華街の四ツ角に
邱大楼という10階建のビルを建てた時、
1階2階に裕次郎の店と呼ぶコーヒー・ハウスに入ってもらって、
オープニングに石原裕次郎さんに
開店のテープを切ってもらったことがあります。
裕次郎のクラスメイトがひらいた店で、
コーヒー1杯が500元、
当時、台北の女工さんの1ヶ月の月給が1000元でしたから、
大へんな話題になって、
「邱永漢は台湾の経済開発のために帰って来たというが、
本当はコーヒーの飲み方を教えに帰って来たのではないか」
と新聞に書かれたりしました。

当時の台北では私の秘書でさえ
スプーンでコーヒーを口に運んでいましたが、
国民所得が1人当り700ドルから2万ドルに成長した今日では
台北のどの通りを歩いても
10軒くらいのコーヒー・ショップがあります。
中国人は、台湾人も含めて
コーヒーを生活の中に取り入れる人種だと
私は確信を持ったのです。


←前回記事へ

2009年11月28日(土)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ