中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2774回
日本中古車の最大の市場はシベリア

シベリアに一ぺん行ってみたいというのは
私の念願の一つでした。
中学生の地理の時間に、地図を拡げて見ると、
ウラジオストックは日本海を挟んで
日本列島のすぐ向う側にありました。
でも私たちが習った海の向い側は
軍艦や潜水艦がうようよしていて、
とても近づけるようなところではありませんでした。

ノモンハンの合戦で関東軍はかなりの損害を蒙ったし、
日ソ不可侵条約を結んだ筈のソ連が
いきなり日本に宣戦布告をして、敗戦直前に満洲に攻め込んで、
多くの日本兵をシベリアまで連れて行って
何年もにわたって強制労働に従事させた話は
まだ私たちの記憶の中に鮮明にきざみ込まれています。
戦後の世界は民主主義と共産主義に二分され、
アメリカとソ連が対峙して雌雄を争いましたが、
やがてソ連が崩壊解体して、
盟主のロシアは元のロシアに戻ってしまいました。
その間、かつての衛星国との間にどんな確執があったのか、
また解体後のロシアで人々がどんな目にあわされたのか、
情報不足の私たちにはさっぱりわかりません。
ただ広大な領土を擁するロシアが
多くの資源の眠るシベリアを
いつまでも放置しておくとは考えられず、
石油の値上がりによって貯め込んだ資本を元手にして
やがてシベリアの開発に乗り出すだろうことは
近くて遠い日本や中国の人たちにも
大いに気になる時代になったのです。

そう考えてシベリア考察団を組みましたが、
新潟からシベリアにとぶよりも、
中国の東北即ち旧満州からシベリア入りのルートを選びました。
そうした方が隣接する東北地方とシベリアの間に
どんなことが起っているかも
一通り理解できるのではないかと思ったからです。
私は上海からハルビンまでとんで、
大連からハルビン入りをした皆さんと合流し、
そこからウラジオストックにソ連の飛行機で入国したのですが、
ウラジオストックを走っている自動車のほとんど90%が
右側通行の国にも拘らず
右ハンドルの日本車の中古車であることに先ず驚きました。
1年に12万台ほどの中古日本車が
ウラジオストックで荷揚げされているとききました。


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2007年10月14日(日)

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