第2508回
共産社会に広告の必要がなかったのです
もう一つ、
私がこれからの中国の成長産業の一つとしてあげたのが広告業です。
物を売ろうと思えば、
広告をしなければならないのは資本主義社会の常識です。
日本では電通も博報堂も、
また媒体として広告収入で営業のできているテレビも、
そして、全くのニュー・フェイスであるインターネットも、
いまや押すに押されぬ大企業になっています。
ところが、共産体制下の中国はかなり事情が違います。
情報は人の物の考え方に大きな影響をあたえるので、
新聞もラジオもテレビもすべて政府の管理下におかれてきました。
集会も宗教も教育も、少しでも政府に都合の悪い動きがあると、
すぐに罰せられます。
外国人がこの分野に進出できないのも、
こうした政府の方針によるものです。
ですから商行為でさえも長い間、政府から必要悪の烙印を押され、
冷たく扱われてきました。
もう20年近くも前のことですが、
或る時、上海のデパートで買物をして
お釣りをもらうのに30分も待たされました。
どうしてかと思ったら、
手書きの領収書がなかなかできて来なかったのです。
やっと手元に届いた領収書を見ると、
何と百貨店の仕入値段まで書き込んであります。
デパートはあなたを搾取しているのではありません。
売買の作業をした手数料としてこれだけいただきましたと
消費者に知らせているのです。
しかもその手数料が10%か、それ以下でしたから、
これでは商売として成り立つわけがありません。
広告をすることもできません。
というより商品の方が不足していましたから
広告をする必要がなかったのです。
私はそれを見て、大陸で講演を頼まれた時、
「商売を重んじないと経済は発展しません」
と指摘したことがあります。
それがケ小平の改革開放政策によって一変しましたが、
社会主義市場経済が広告の必要を痛感するまでに、
更に10年以上の歳月を必要としたのです。
|