第1897回
台湾の運命は国連脱退の時に決まりました
中国大陸は中華人民共和国、
台湾は中華民国と
二つの政治体制に分かれて、
それぞれ独自の統治を行って
半世紀がたちましたが、
「二つの中国」と言っても、
北朝鮮と韓国のように独立した国として
国際的に認められているわけではありません。
今から30何年前、
中華人民共和国を国連に加盟させる時、
アメリカは蒋介石に
二つの中国ではどうかと提案しましたが、
大陸反攻がまだ頭にあった蒋介石は
二つの中国の中の一つとして国連に残るより
国連から脱退する道を選びました。
私は蒋介石の台湾統治に反対して
亡命の道を選び、
香港から東京へ戻ってずっと無国籍者として
東京で文筆生活をやっていましたが、
これで台湾が別の国になる可能性は
消えたと直感しました。
あとは「世界の孤児」として
どの程度生き長らえるか、
そのためには台湾の経済をどう発展させるべきかに
全力を傾ける必要があると感じ、
24年間続けた亡命生活に終わりを告げて、
乞われるままに台湾の土を踏みました。
どうして私が台湾の独立をあきらめたかと言うと、
台湾の60倍の人口を擁する人民共和国が
国連に加入すれば、
小さな台湾が独立国として
国連にもぐり込むことは
絶望的だと直感したからです。
あとは人民共和国が変貌して
自由や民主を受け容れるのを待つよりほかありません。
その間、台湾が生き伸びるためには
台湾の経済が発展して
孤立してもやって行けるように
台湾の人たちが努力するよりほかありません。
そう考えて私は
GDP1人当り700ドルの台湾に
戻る決心をしましたが、
台湾中の人たちが努力した甲斐があって
台湾のGDPはあッという間に1万2000ドルまで
驚くべき発展を遂げました。
サラリーが上海や北京の20倍という台湾が
武力で中国大陸の傘下に入ることには
無理があります。
そういう脅威を取り除かない限り、
台湾の人たちが
北京政府の思い通りにならないことは
自由と民主の空気を吸ったことのある人なら
誰にでもわかることです。
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