第1553回
書は東洋文化の結晶であります
佐藤春夫詩集に出てくる
「綾錦何をか惜しむ」
という漢詩からの翻訳の原典は
唐代の女流詩人のつくったもので、
読み人知らずということになっています。
その原典の詩句は
「勧君莫惜金縷衣 勧君須惜少年時
有花堪折直須折 莫待無花空折枝」
となっていますが、
この文句からおわかりのように、
好きなひとがいたらすぐに思いを遂げなさい。
ためらって愚図愚図していると、
花は折られて枝しか残っていませんよ
というほどの意味です。
私はこの原典の詩句を
中国の有名書家の一人に書いてもらって、
佐藤春夫先生の色紙と並べて
オフィスの応接間に掛けてあります。
どなたにとっても、
青春は二度と戻ってこないものですが、
若い時は誰でも青春をもてあましますから、
本当の値打ちはそれを失ってから
実感するものと言ってよいでしょう。
また私の北京の家の玄関には
「馬不進也 非我敢後也」
という文句がかかっています。
知らない人が見ると
何のことだかわからないでしょうが、
これは論語に出てくる言葉です。
魯の国の将軍が敵に追われて城まで逃げかえるのに
一番しんがりをつとめました。
敗戦の時は一番勇敢な人が殿軍の将をやりますが、
応戦しながら退却するのですから、
一歩間違えると生命を失います。
その勇敢な姿を皆がほめたたえると、ご本人は
「いいえ、私が敢えてしんがりをつとめたのではありません。
馬が前に進まなかっただけのことです」
と謙遜しました。
人間には須くこうした奥床しさがあって然るべきだと
自分に言いきかせるために、
私は家を出る時と家に帰ってきた時に
見るようにしているのです。
書は現代人の生活と
だんだん疎遠になったと思うかも知れませんが、
私は書は東洋文化の結晶だと信じています。
その内容に意味があるばかりではなく、
字の書き方にもうまい下手があります。
見あきない字とすぐ見あきてしまう書き方もあります。
座右の銘になるような名文句を自分で選んで、
毎日、見るのはとてもすがすがしいものです。
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