第1028回
元旦の日程が挨拶廻りだった頃

東京でまだ小説家に成りたての頃は、
1月元旦はお世話になった人の家へ
挨拶廻りに行くのが私のしきたりでした。
文壇のことを何も知らない私が
香港から東京へ出て来て、
筆一本で生活しようと考えたのですから
大胆と言おうか、向こう見ずと言おうか、
いい度胸をしていたと言ってよいでしょう。

おかげで2年足らずで直木賞をもらい、
何とか一人立ちできるところまで漕ぎつけたのですが、
そのあいだ手を貸していただいた方が3人おられました。
当時、私は多摩川べりの
田園調布1丁目に住んでいて、
道順で行くと先ず
明治学院大学の正門前にある長谷川伸邸、
ついで小石川関口台町にある佐藤春夫邸、
石神井公園前にある檀一雄邸
という順序で年賀に行きました。

長谷川先生には一本刀土俵入りとか、
沓掛時次郎とか、いわゆる股旅物の名作があり、
山手樹一郎、山岡荘八、
村上元三から池波正太郎、平岩弓枝に至るまで
そうそうたるお弟子さんがおられます。
私は「香港」という作品を
長谷川先生の主催する「大衆文芸」
という雑誌に載せてもらったおかげで
直木賞をもらいました。

また佐藤春夫先生のところへは
檀一雄さんに連れられてはじめて伺いましたが、
「濁水渓」という直木賞の候補になったが
惜しくも落選した作品に対して
「君の作品は合格だよ」と言われて
単行本にするときに推薦文を書いていただきました。
この家も正月になると千客万来で、
井上靖、檀一雄、五味康祐、安岡章太郎、吉行淳之介など
人気作家で賑わっていました。
先生自ら戯れに「門弟三千人」とおっしゃっていましたが、
私と家内と娘と三人で挨拶に伺うと、
三人分の座布団をあけてもらうだけでも大へんでした。

そのあと伺った檀邸は
私の家から一番遠いところにありましたが、
三人のうちで一番年が近いせいもあって、
夜遅くまで長居をして
みんなが酔いつぶれるのを待ってから
帰路につくのが常でした。


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2003年1月2日(木)

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