第554回
不況になるほど繁盛する商売あります
この8年間、私は台湾で新規事業に手を出しませんでした。
中国大陸の経済発展を見越して
専ら精力を中国大陸に注いできたせいもありますが、
ヤオハンの台湾進出に手をかしたことが
失敗に終わるだろうことがいち早く視界に入ってきて、
対処に手間取ったからです。
バブルの絶頂期にこれからは海外進出だと考えたことに
間違いはありませんでしたが、
ヤオハンに手を貸したことが私の躓きの石になりました。
ヤオハンの和田一夫さんも狙いはよかったのですが、
功を急ぎすぎたのと、人材に恵まれなかったために、
本当に惜しいことをしたと、
大きなトバッチリを受けた私ですが、
いまでも残念でたまりません。
ヤオハンが倒産したために、
台湾に残った傷跡をなおすのに5年もかかり、
さんざ知恵をしぼった末に辿りついたのが
100円ショップ・ダイソーの台湾への誘致でした。
折しも台湾が日本についで空前の大不況におちた矢先で、
店じまいをする商店やレストランはあっても、
新しく店びらきをする動きの皆無の時でしたから、
台湾中の注目を浴び、
オープニングの記者招待会をひらいたら、
何と89名の新聞、雑誌、テレビ記者が集まりました。
ふつうなら5、6人も来ればいいところに
押すな押すなの大盛況ですから、
どうして8年間も台湾を留守にしたQ先生が
大不況のさなかに店びらきをするのですかと
しつこくきかれました。
私はいまは台湾も日本と同じように
産業界の選手交替の時期であり、
デフレになればなるほど却って繁盛する商売があるんです。
ダイソーはたまたまそのうちの1つですから、
そのサンプルとしてお見せするのですと説明したら、
その日からテレビというテレビ、新聞という新聞が
派手に報道したので、台湾中に知れわたり、
翌朝は早朝から店先に行列ができて
とうとう開店を半時間もくりあげる始末でした。
不況になると元気になる商売を
台湾中の人に見せることができて
ホッとしているところです。
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