第536回
縫製工場長の経験者いませんか

馴れるということはおそろしいことです。
自分のやっていることが当然だと思うようになって、
どこが悪いのか、どこをなおしたらもっとよくなるのか、
わからなくなってしまうのです。
熟練工とか名人とか言われる人ほど、
また社会的に成功して名声を拍するようになった人ほど、
自分が見えなくなってしまうのです。
初心に帰れというのは、そうした人が
自分を戒めるための言葉です。

自分が見えなくなってしまった人でも、
他人の欠点は見えます。
自分の国ではもう改良の余地のなくなってしまった人でも、
よその国に行くと、役に立ちます。
日本より遅れて
そのあとを追っている国の幼さが目につくからです。
たとえば、日本の紡績工場や縫製工場を
リタイアした工場長は日本ではほかに
過去の経験を活かす職場はあまりありませんが、
これから成長過程に入ろうとしている中国では
まだまだ立派に通用します。
現に私の知っている上海の婦人服の縫製工場で
そういう人を求めています。

年をとってからでは
新しく言葉を覚えるのは無理かも知れません。
通訳をつけなければならないことも考えられます。
また気質の違う異国の人を何百人も何千人も使うのは、
もう少し若い人に任せるとしたら、
現場の生産過程の改善をしたり、
そういう改善を指導する顧問役はいかがですか。
もう第一線から退いて、年金生活をしている人が、
異国の若い人たちに囲まれて
「先生、先生」と呼ばれて暮らすのも
そう気分の悪いものではありません。

こうした技術のベテランを求めているのは
何も縫製工場や紡績工場にとどまりません。
建設機械や事務機械や家電メーカーの業界でも、
アフター・サービスの組織づくりが
いま問題になっています。
自分がいままで蓄積した専門知識を生かすことに
関心のある方は私のところへ登録して下さい。
今回はお年寄りの話になりましたが、
若い人の働く舞台はもちろん、山ほどあります。


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2001年8月28日(火)

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