第267回
末は博士か大臣かは夢のまた夢

職業の選び方が大きく変わってきました。
世の中が変わってきたからです。

私が大学を出た年は昭和20年の
ちょうど終戦の年の9月でしたから、
就職戦線にも大きな異変がありました。
無条件降伏と共に復員がはじまり、
海外に派遣されていた人も国内で徴兵されていた人も
ドンドン職場に戻りはじめましたから、
どこの企業も除隊して帰ってきた社員たちを
受け入れなければならなかったし、
仕事がないなかで皆を養うだけでも大へんでしたから、
新入社員を受けつけるどころではありませんでした。

それでも私のかよったのは東大でしたから、
そんなきびしい環境の下でも、就職先に困ることはなく、
日本銀行とか大蔵省をはじめ、
一流企業が門戸をひらいてくれました。
学徒動員されなかった居残り組にもそれぞれ口がかかり
私のクラスメイトたちは
人も羨む立派な役所や企業に就職することができました。

学校の成績や能力で争うなら私はどのクラスメイトにも
負けないだけの自信がありましたが、
私は当時、日本の植民地だった台湾に生を受けたので、
サラリーマンの出世コースとは縁がありませんでした。
仮に一流企業に就職できたとしても、
当時の日本の空気では将来、出世街道をよじ登って
社長はおろか重役に昇進する見込みすらありません。
私の東大の先輩で台湾総督府に就職した人がおりますが、
重要なポストに就けてもらえず、
万年水産課長で終戦を迎えています。

ですから東大経済学部の事務室前の掲示板に
中央官庁や一流企業の募集広告が貼り出されても、
私には全く無縁でした。
もし私が内地籍だったら、末は大蔵大臣か、
日銀総裁かという夢も見られたでしょうが、
私にできたことは比較的差別的な偏見の少ない大学に残って
学者になる道を選ぶことでした。
私がそのまま大学に残って
助手、助教授のコースを進んだら、
あるいは東大教授くらいにはなっていたかも知れませんが、
私にはあまり似合わない肩書きでしょうね。


←前回記事へ 2000年12月2日(土) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ