新しい「富の創造」
さきに私は、物をつくる商売の中ではもはや「食品」しか残っていないといったが、もちろん新しい商売は「食品」だけではない。しかし、「食品」の分野で新しい変化が起こり、衣料品や住宅のために支払われていたお金が減って、食品に払われる分がそれだけふえることは充分考えられる。
食品の高級化が目立つようになり、安いお惣菜より高いお惣菜が売れるようになる。ワインを飲まなかった人がワインを飲むようになり、昔風のニガリの入った豆腐が復活したり、一夜漬けの漬物をデパートでちゃんと買うことができるようになる。また核家族化、一人住まいが多くなるにしたがって、「個食」(一人だけで食べる状態)が多くなるから食品のパッケージの単位も一人分だけの小さな包装に変わる。こういうことは一見、何でもないことのようであるが、食品販売業にとっては一大革命といってよいであろう。
「食品」に支払うお金もふえるが、「旅行」や「レジャー」に支払われるお金はもちろんふくらんでくる。私たちは、鉄をつくったり自動車をつくったりするのは「生産」であると思い、また「富の創造」と思っている。
そう思っている私たちでも、海外旅行を企画したり、美空ひばりのリサイタルを催したりするのは「生産」とは思っていない。しかし、いままで食料や衣料に支払っていたお金を、美空ひばりショーに支払ったら、同じようにその分だけGNPの増大がおこる。たとえば一枚一〇〇〇円の切符が一万円になり、それでもなお一万人の観客がお金を払ってくれれば、興行主のところに一億円のお金がころがり込む。このお金は物を売って生まれたものではないが、一億円であることに変わりはないし、新しい購買力として働くことにも変わりはない。でなければ、ひばりさんのお母さんが台所の縁の下にかくすわけがないのである。
こうしてみると、「富の創造」は、売られたものが物の形をしているかどうかということとはあまり関係がない。人々がそれに値打ちがあると認め、それにお金を払えば、その瞬間からそこに新しい「富の創造」が成立するのである。
食料の不足した時代には皆が食料を値打ちのあるものと考えたから、食料をつくることが「生産」と思われ、「富の創造」と思われた。その時代には、鉄をつくることや紡績をすることや鍋釜をつくるまでがせいぜい「生産」であったが、パチンコの機械をつくることやレコードをつくることは、はたして「価値の創造」と考えられただろうか。わずか三十年前においてすら、私たちは、工業生産について正しい認識を持っていなかったのである。
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