成功者は欠陥人間?
では頭の悪い奴はどうすればよいのであろうか。まず頭の悪い奴は、自分の頭がどの程度に悪いかすらわからないことが多いから、なぜ同じように努力しても仕事がうまく行ったり行かなかったりするのか、その区別すらつかない。
何が大切といって、自分の能力の限界を悟ることほど大切なことはない。頭のよい人とは、「わかりの早い人」のことであるが、「どんなことでもできる器用な人」のことではない。人にはできることとできないことがある。得意とするところと苦手とするところがある。計数には明るいが、人使いは下手クソな人がある。かと思えば、その逆の人もある。また発明の才があるが、それを商品化する才がまったくない人もあり、その反対の人もある。同じ会社につとめている人でも、机に向かい、頭を使って考えるのは得意だが、外回りはまったく駄目という人もある。反対に、営業をやれば元気がでるが、机に向かっていると死にそうになる人もある。
そうした自分の長所と短所を知り、できることとできないことの区別を自分でつけることができれば、「頭の悪い人」の部類には入らない。自分の長所とするところを生かし、短所を避けてとおることができれば、能率もあがるし、失敗も少ないからである。
その点、自分がどういうことに向いていて、どういうことには向いていないかわからない人は、本当のところ、つけるクスリはない。おそらくいま私が何をいっているのかすらもわかってもらえないのではないか。いくら頭が悪いといっても、自分の愚かさを知ることは必要であり、それを知った上でどうしたらよいか、というのなら、まだいくらでもやりようがあるように思う。
まず第一に、人間は得手に帆をあげて走ることが大切である。ただし、長所の際立った人は人間として偏屈な人が多いから、世間から変人扱いを受けたり、家族や周囲の者に迷惑をかけたりする。そこで修身の書などではたいてい、「円満な人格」をみがくよう、修練を積むことをすすめる。「円満な人格」とは、苦手なことを無理にやらせることにほかならないから、克己心を養成するという意味では大切なことである。しかし、欠点の矯正をするのは長所をのばすのに比べたら、うんと能率の悪い人間活用法である。
商売というものはマイナスになった部分、つまりネックになった部分で勝負がきまってしまうが、個人の才能はプラスになった部分、その長所とする部分によって評価される。たとえば、芸術家や発明家は、素晴らしい才能を発揮する反面、それを棒引きにしてもまだおつりがくるくらい欠陥人間であることが多い。そのために世間から白眼視されたり、貧乏生活を強いられたりして不幸な生涯に終わることが多いし、家族たちもとんだとばっちりを受ける。著名な芸術家や発明家の伝記を読むたびに、周用の人たちはさぞたいへんだったろうなあ、と同情を禁じ得ないのである。
独創的な仕事をやる人たちについては、なるほどその通りだろうが、商売の世界はもっと常識的なものだから、もう少し違うルールが支配しているのではないかと思われるかもしれない。表面だけ眺めていた間は、私もそう思ったことがある。しかし、成功者といわれる人たちに数多く接すれば接するほど、実は実業の世界も、芸術家や発明家などの創造的分野とあまり違わないなあ、と痛感するようになった。 |