「でもその間、私たちはどうすればよいのでしょうか?」
「逃げかくれしないのが一番でしょうね。奥さんが当分はつらい思いをすることになるでしょう。債権者というのは必ず家へ押しかけてきますから。でも奥さんのほうは、主人は家へ帰ってきても私に何も申しません。どうぞ主人にきいて下さい、とおっしゃればよいのです。ご主人は新しい仕事を考えたり、新しい仕事に着手するよりも、この際、誰か同業者で仲のよいお友達がおりませんか。もしそういう人があったら、そういう友達の仕事を手伝わせてもらうのが一番です。私にしても、いざ、失敗をしたときにその程度のことなら頼めそうな友達がありますが、ご主人のほうにそういうつきあいの友人はありませんか?」
「その程度の面倒を見てくれそうな当てはないことはありません」
「それならば、そういうところで一年か二年、働かせてもらうことです。いままで社長として同格でつきあってきた者を部下に使うのは、使うほうとしても難しいでしょうが、本当の友達なら少々の面倒は見てくれるものですよ。サラリーなんてもらわなくたっていいんです。まだ一年くらいの兵糧は残してあるんですから。しかし、本当の友達なら、借金の尻ぬぐいはしてくれなくとも、塩くらいは贈ってくれるものですよ」
結局、つきつめて行くと、ふだんの友達づきあいがよくできているかどうか、というところに到達してしまう。
私にしても、はたしてそういうときに力を貸してくれる友人が何人いるか見当もつかない。
しかし、そういうときに役に立つ友達はいるんだと誰でも思いたい。まさかのときに備えて友達づくりをしているわけではないが、駄目なときというものが人生にはあるものである。そういうときは、双六でいうと、「一回休み」「二回休み」というところであるから、ジタバタするよりもジッと失敗に耐えることである。失敗から学ぶことも、結構たくさんあるのである。 |