世界的マネーゲームの崩壊 日本で起ったことはアメリカでも起る
ドルを持てば大損をする
(1998年10月9日執筆  『Voice』99年1月号発表)
ヒト、モノ、カネは昔々から地球上を動きまわってきた。恐らくヒトが先ず食べ物を探してまわり、そのヒトがモノを持って動き、カネが共通の交換手段として通用するようになってからは、モノを売ったり買ったりした時の決済をするためにカネが動くようになったのであろう。
しかし、ヒトの行動半径は狭いものだったし、生活共同体から一足外へ出ると敵に囲まれていた。激しい生存競争の中で強者が弱者を併呑し、国が成立していく過程でも、ヒトは国境を越えて動きまわり、モノはありあまるところから不足するところへ運ばれ、その支払いをするために金貨や銀貨が持ち運ばれたのである。
その動きは今日の私たちが想像するよりはもっと頻度も激しかったし、遠隔の地城にまで及んだにちがいない。ヒトは利益のためなら、どんな労苦もいとわず、生命を危険にさらすこともあえて辞さなかった。
けれども、ヒトもモノもカネもそう自由には移動できなかった。山にも海にも山賊や海賊がいたし、国境には王様の番兵たちが関所を設けて通行するヒトやモノやカネに分け前を要求したからである。税関のことを英語でカスタム(習慣)と呼ぶのは関所を通過する時に税金を払うのが習慣になっていたからだとアダム・スミスの『国富論』の中にも書かれている。
イスタンブールのトプカプ宮殿に行くと、いまでも中国でつくられた立派な陶磁器がたくさん陳列されているが、あれはいずれも東西交通の要所を占拠していたメフメット二世が往来する商人たちから賂(まいない)として召しあげたものであると説明されている。
カネに至っては、それ自身が富と考えられていたから、当然、一番大切なものとして扱われたし、その移動には細心の注意が払われた。とりわけ金銀貨が地金も含めて外国に持ち出されることは、その国の富が失われることを意味したので、スペインやポルトガルの王朝がヨーロッパで勢力を得てからは、どこの国でも金銀の国外流出を禁じ、それに違反した者に対しては極刑を以て臨んだ。
つまり決済手段としての金銀の持ち出しはきびしく禁じられたので、ワインを運んで行って綿布と交換するとか、皮革や材木を運んで行って穀物や海産物と換えるとか、物々交換が主流を占める時代が長く続いた。そうはいっても、金銀貨はカサも小さいし、密輸も容易だったから、利があれば、禁令を無視してどこにでも動いたことは想像に難くない。
物々交換をする場合も、税金を払いたい人は今も昔も少ないから、逃れられるかぎりは逃れる人が多かったことに変りはないが、税関吏が通過する貨物の前に両手を拡げて立ちふさがっていたので、税金を払っても引き合う品物だけが国境を越えて輸出入された。
しかし、どこの国も輸出入のバランスを大きく崩して一方的に物を輸入しつづけることはできない。輸入がふえると、輸入品の決済をするために金貨もしくは金地金を相手国に運搬しなければならないが、どこの国も金貨が流出することを極端に嫌ったので、関税を引き上げて輸入が難しくなるように仕向けた。関税がモノとカネの動きに対してブレーキの役割をはたしたので、国民経済といわれるように、一国の国民の生活は国境の中の動きだけを考慮に入れればよかったのである。
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