死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第101回
別居のすすめ

第三者から見たら、全く賛沢な悩みで、
そんなことで別れる奴の顔が見たいということになろう。
しかし、ダイヤの指輪は盧溝橋の一発みたいなもので、
ダイヤの指輸で争わなければ、
多分、別の同じような
リクツにあわない理由を見つけることになろう。

どちらにしても、
最後の十年をあきらめと妥協で送ろうとしない決意が
二人の人間を決定的な別れ話につないでいくのである。

一緒に生活のために奮闘しなければならないとか、
子供を一人前にしなければならないとか、
経済的必要以外に結びついておりたいという願望があるとか、
そういったものは五十代、六十代になるとだんだん消えてしまう。

そういう時になると、
経済的な理由で争うことも多くなるが、
経済的な闘争はやがて経済そのものを越えて、
もっと本質的な争いになる。

たとえ老年になってから
生活していけるだけの財産やあてがなくなっても、
一人になるために敢然として争う女の人が出てくる。

私などは、妻の友人の争いを見ていて、
妻に自由に使えるお金を与えておいてよかったとも思うし、
また女の人は経済的に独立するようになったら、
離婚が増えるようになるというけれど、
むしろ経済的に独立できるような仕事を持つ方が
逆によいのではないか、と考えるようになった。

経済的に独立しても、独立しなくても、
女は本能的に、今の家庭の在り方に批判的である。
だから家庭は同じように離婚の危険にさらされている。
どうせそういう目にあわされるなら、
むしろ女が独立できる条件を整えて、
さて、その上で男女間の、
バランスをうまくとるような
工夫をした方がいいのではなかろうか。

きっとそのうちに、
離婚の条件を整えることが
かえって離婚しないですむ条件になるに違いない、
と私自身、次第に思うようになっている。

しかし、今のところ、
中年以後の別れ話をストップさせる最も説得力のある言葉は、
別れることによって生ずるマイナスを実感してみる以外には
ありそうもない。
だから、すべての説得が失敗したあとに、
うちの女房が提案したのは、
「では、しばらく別居生活をしてみたら」ということであった。

これに対して、男の方がいくらか冷静だから、
「それも一案だね」と賛意を示すか、
カッとなると前後の見境もなくなると見えて、
奥さんの方は拒否反応を示す。

「まあ、とにかくカナダにでも旅行に行きなさいよ」
と女房が勧めて、やっとニカ月の外国旅行に出かけて行った。

長編小説の結末を見ていると、
フランス人ならアルジェリアに主人公を行かせてしまう。
この奥さんも別れたあとは力ナダに行って住むつもりだったが、
二ヶ月もカナダに行って、友人の間で暮らしてみると、
一人で外国で暮らすことが容易でないことを
漸く実感するようになり、
予定より早く東京へ帰ってきた。

あわててど主人の方が家を出て、
入れ替わりに外国旅行に出かけた。

出たり入ったりしているうちに離婚が本番になるのか、
それとも元の鞘におさまるのか、
今のところ、結末を皆さんに告げるところまで至っていない。
しかし、離婚をする前に実際に一人で暮らすのがよいかどうか、
まず別居という「思案橋」の上に上がって
周囲を見わたしてみる必要があることは確かであろう。





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2012年3月18日(月)

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