死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第84回
辞め方を誤った人々は

自分のつくった会社の社長なら死ぬまで辞めなくても、
誰も文句を言わないが、
他人のつくった会社や社会的な存在となってしまった機関で、
いつまでも居坐っていると必ず文句が出る。

とりわけトップに立つ人の権力が強大になればなるほど、
抵抗も大きくなるから、范蠡のような智謀の人になると、
自分の方からさっさと引き退がってしまう。
引き退がったあと、どうしてよいかわからない人でも、
引き退がりさえすれば、
とにかく風当りは弱くなる。
だから、こういう場合は、何はさしおいても、
首を縮めて嵐の通りすぎるのを待つに限るのである。

ところが、一旦、権力の座に就いて、
権力の味をしめてしまった人は、何が何でも、としがみつく。
清廉潔白を売り物にしてきた三木武夫氏が
首相の座から引きずり下ろされるまでの、
あの粘り腰を考えただけでも、観客の方は笑いが止まらなくなる。

岡田茂とか池田大作とか、田中角栄とか、
若狭得治とかいう人は、いずれもこの分類に入る人で、
あれだけジャーナリズムの総攻撃にあっても、
どうして二枚腰、三枚腰で粘るかと言うと、
実は辞めたあとに対する自信を持っていないからである。
もしくは「辞めたあとにはもはや地獄しか残っていない」
という人生哲学の持主だからである。

つまり今までに手に入れたものが実力以上のものであり、
それを失ったら、もはや二度と同じものにありつけないという、
ギリギリの線で生きているのである。

岡田茂の不行跡については、
私はたまたま十年以上も前から側聞する機会があった。
三越のスキャンダルを報道して
恐喝罪に問われた赤新聞の社長が私のところに出入りしていたし、
また私がパリでリッツのホテルに泊まっていた時、
三越のパリ駐在社員の出入りがあわただしく、
何事かと聞いたら、
社長の愛人のおでましです、という返事がかえってきた。

リッツにも美容室があるのに、
わざわざ日本語の話せる日本人の美容師が招ばれてくる。
メンタイコが好物で、パリでも口ーマでも
三越の売場にメンタイコが置いていないと
「気のきかない社員ね」
と鶴の一声で左遷されてしまうときかされた。

どこまで本当かわからないが、
たかが社長の愛人に女王さまのようにかしずく社員も社員だが、
そういうことを平気でやらせる社長も社長だな、と思った。

「これは早晩、問題になるなあ。長いことはないよ」
と、女房と語りあったことがある。
悪事千里と言って、善い事をしてもなかなか人の耳に入らないが、
悪い評判は千里を走る。
はじめは総会屋の出している雑誌が
オドシの材料に使っていたのが、
遂に『文藝春秋』や『朝日新聞』までがとりあげるようになった。

女王さまの話が次々と暴露されて、
ジャーナリズムの報ずるところによると、
権勢を欲しいままにしている女王さまのおん年が
五十歳をこえていて、
しかも二人の関係は社長になる前からずっと続いているという。

「これはスキャンダルじゃなくて、美談だね」
と、私たちの仲間ではもっぱらの噂であった。
古い履物でも捨てるように色恋の道が移り変わって行くなかで、
これが美談でなくて何であろうか。
ただ物事にも程度というものがあって、
多少のことは誰でも大目に見てくれるが、
限度を踏みはずせば、俄然、目の力タキにされるようになる。
とりわけジャーナリズムを敵にまわせば、
先ずは勝目がないのである。

というのは、十年以上も前のことであるが、
「東京畜犬」という、
犬を家庭に預けてふやしてもらう商売をはじめた人があった。
着想としては悪いものではなかったが、
委託した相手に、たまたま読売新聞の記者の奥さんがあった。
会社とその奥さんとの間にたまたまトラブルがあって、
会社の不手際が新聞記者を怒らせ、
とうとう喧嘩になってしまった。

やがて新聞社が東京畜犬をインチキ商売呼ばわりするようになり、
被害者同盟までできて、
東京畜犬は倒産にまで追い込まれてしまった。
ジャーナリズムを敵にまわすと、
歴代総理だってひどい目にあわされているのだから、
三越の社長ていどで敵うわけがない。

「あとはいつ、どんな形でノックアウトされるか、
固唾を飲んで観ているようなものだね」
観客にまわった人は、恐らく誰でもそう思ったに違いない。
自分に利害の及ばない時は、
勝敗の行方もはっきり予測できるのに、
自分が当事者になると、途端に目がくらんでしまうのである。

いくら強がりを言っても、
池田大作さん、田中角栄さん、
みな行きつく先はほぼ同じであろうから、
今の世の中、利ロそうに見えても、
本当に利ロな人はなかなかいないものであることがよくわかる。





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2012年3月1日(金)

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