死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第47回
子供がやるべきこと

そういう意味で私は、
人間はあまり年をとるまで生きようなどと考えずに、
適当な年齢でこの世におさらばをするのが理想的だと思っている。

「適当な年齢」というのは、
ほぼ平均寿命に近い年齢という意味であるが、
平均寿命の中には、若くして死ぬ人とか、
交通事故にあって死ぬ人もまざっているから、
実際に平均寿命まで生き延びると、
必ず平均寿命をオーバーしてしまう傾向がある。
そこで、七十七歳とか、八十歳とかいった年齢が
とび出してくるのであるが、
「七十四歳プラス・マイナス」
と思っていただければいいであろう。

もし男が七十四歳、女が七十九歳まで生きるとしたら、
私はあと十五年、うちの女房はあと二十四年は生きることになる。
女房は私より三っ年下であるけれども、
私が死んでからあと九年は生きなければならないから、
老後の面倒を少なくとも九年間は見てもらえる人が必要になる。
うちには子供が三人おり、
恐らくその誰でも間違いなく親の面倒を見てくれる筈である。

そういう具合に子供を育ててきたし、
子供の方でもそれを当り前のこととして受け容れている。
東洋の道徳では、憲法の規定がどうであろうと、
「親は子を育て、子は親の老後の面倒を見る」
のが当然とされているからである。

ところが、戦後の「核家族化」と「福祉国家」の推進は、
親子の関係を疎遠なものにしたばかりでなく、
質上げ闘争と左翼傾斜に寧日のなかった教師たちは、
道徳教育に反対して、
子供たちのしつけに全く力を入れなかったので、
親をバットで殴り殺すような異常児が育ったり、
また教師たちが校長に対してやったやり方を見習って、
生徒が教師に暴力をふるうという
因果応報を体験することになってしまった。

たまたま、私の家では学校の教師は
読み書きを教える職業であるとはじめから決めてかかり、
道徳とか礼儀作法とかは家庭教育の分野と考えていたので、
あまり教師をあてにしなかった。
我が家の家庭教育は、

(一) 金銭上のことで他人に迷惑をかけるな。

(二)あの家の子は礼儀知らずだと言われないようにせよ。

の二点に重点を置き、との二点については、
幼時から鞭をも辞さない厳しい態度で臨んできたので、
息子や娘は親の言うことに口答えをしたりしない。
心理的に仮に承服できないことがあっても、
心の中にしまいこんでこらえるのが
子としての責務であると納得させてきたのである。





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2012年1月23日(水)

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