第34回
個性的な作家のスピーチ
それと裏腹に、きわだってうまいのは、
小説家のスピーチである。
小説家の中には、文章はうまいが、
喋るのはからっきし駄目と言う人もある。
川端康成さんなどはその最たるもので、
前後のつながりもなければ、何を喋っているのか、
その意味すらはかりかねるようなことを口走る。
あの人の演説をきいていると、
この人は論理とは別世界の人だな、という気がする。
川端さんのような叙情的描写にたけた人だけでなく、
吉川英治先生も例外ではない。
昔は今のように文士大講演会というものがなく、
場慣れしていなかったということもあるが、
文章という形で表現する才能と達弁の士としての才能は、
別のものなのである。
しかし、昨今はさすがにスピーチの機会が多くなったせいか、
作家の中にも、筆も口も両方ながらに達者という人がふえてきた。
別に作家の肩を持つわけではないが口が達者でない人でも、
作家を職業とする人は、トツトツと喋るなかにも、
時々、感心させられるような内容を持っている人がある。
どうしてかな、と考えてみると、
これは職業と関係があることに思い至った。
物を書くということは、
世界の人たちが常識として受け容れていることを
そのまま記述したのでは成り立たない。
筆をとる動機はいつの時代にも現存する体制や思想に
異議を唱えることからはじまる。
もちろん、表現の方法は千差万別で、
正面から抗議する形もあれば、
違った角度からじんわりと批判する場合もある。
いずれにしても、文章を成り立たせているものは、
反常識、反社会、反体制という姿勢であり、
すべての物書きは、こうした資質を要求される。
だから、同じ一つの現象にぶつかっても、
作家は独自の切り口を見せなければ、職業として成り立たないし、
したがって、作家として成り立っているということは、
とりもなおさずそういう独自の切り口を身につけた人
ということになる。
うちの娘が結婚した時、その結婚披露宴の席上で、
両家の来賓の代表が次々にテーブル・スピーチをした。
お婿さんの家が高級料亭で、
政治家や実業家の出入りが多いせいもあって、
そういう人たちのスピーチをぬかすわけには行かなかったが、
私の職業柄、文士や評論家のスビーチが加わった。
政治家の人がいくら喋っても誰も笑わないが、
川口松太郎、糸川英夫、安岡章太郎という人たちが
スピーチをすると、とたんに拍手がおこり、爆笑が湧く。
その違いがあまりに際立っていたので、
どうしてこういうことになるのか、いやでも考えさせられた。
その結果、思い至ったのが「常識の上塗りをすること」と
「独得の切り口を見せること」の違いであることがわかった。
たとえば、糸川英夫先生は、うちの娘を大へん可愛がってくれ、
自分のセロの演奏会にもよく招待してくれていたので、
娘が星占いにこって、西武のパルコで、
占いのセンセイをやっていたことも承知しておられる。
そこで、先ずどうして私と知り合いになったのか、
私の経済予測がどんなに正確か、
自分はそういう方面のことについては
すべて邱センセイにきいているのだ、
といったことからはじまって、うち娘のことに言及し、
「サイパンさんの星占いは、
お父さんの邱永漢さんの経済予測よりも、もっと的中率が高い」
と言って来客たちをドッと笑わせた。
ちょうど糸川先生自身が星占いの本を出版しようと
準備していた矢先でもあったし、
それだけに説得力のあるスピーチであった。
また安岡章太郎さんは、
私とは昭和二十九年以来のつきあいであるが、
はじめて私と知りあいになった頃の思い出や、
私のうちに招待されてご馳走になった時の話をした。
多分、二十九年の終りか、三十年のはじめの頃であろう。
「当時、私は田園調布一丁目に住んでいて、
邱さんもすぐ近くの多摩川べりに住んでいたので、
近くをとおった時は寄って下さいと言ったら、
或る日、邱さんと奥さんが二人で乳母車を押して
自分の家に寄ってくれました。
その時、乳母車の中にいた赤ちゃんが
今日の花嫁のサイパンちゃんで、
サイパンちゃんの頭を見ると、禿げていて髪の毛がうすく、
これで大丈夫かしらと本当のところ心配しました。
でも、大きくなるにつれて、
おツムの方はお父さんとすっかり入れかわり、
この通り、ちゃんと房寿の黒髪になりました。
本当におめでとうございます」
これにはまた居並ぶ人が大爆笑した。
花嫁の父の頭の髪の毛については、
一目瞭然、改めて説明する必要がなかった。
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