第11回
意味をとり違えている「会費制」
そうしたわずらわしさに耐えられない人たちは、
子供たちが、「結婚披露は省略したい」とか
「外国の教会で結婚するから」とか言い出すと、
「そうか。お前たちがその方がよいと思うのなら、
それでいいだろう」と大へん物分りのよいことを言う。
盛大な結婚式をやっても、
すぐに離婚するカップルのあることを考えれば、
結婚式らしい結婚式をやらないでも、
一生長持ちのする夫婦になる人があって不思議ではない。
事実、戦時中や戦争直後の物資欠乏時代に
夫婦になった人たちで、
結婚式をやらなかった人はたくさんいる。
やりたくてもやれなかったし、
自分たちだけがそうだったわけではないから、
別に不満もなかったが、そういう夫婦であればあるだけ、
自分たちにできなかったことを子供たちの結婚式にかこつけて、
実現したい気持のあることもまた事実である。
そればかりでなく、結婚式や結婚披露を省略してしまえば、
お金がかかったり、わずらわしい思いをする部分も
省略されてしまうから、
その分だけ精神的な負担がなくなり、
離婚も容易になる面もある。
でなければ、世の中で、
結婚式をやる人はいなくなっている筈である。
従って結婚式とは多くの人の前で
お互いに縛り合うところに意味があるのであり、
離婚の確率が高くなればなるほど、
結婚式は盛大になるというリクツが成り立つ。
そういう意味では、
いくら不景気の世の中になっても
結婚会館のような商売をしている人は
胸を撫でおろしていいだろう。
また結婚披露を会費制でやる人がある。
一万円の会費を取れば、その一万円の予算の中で
設営することができるし、声
をかけられた側も、一万円ですむなら、
お祝いの中身を心配しないですむ。
しかし、会費制で結婚披露をやる人は、
結婚披露の本当の意味を理解していないのではないかと思う。
まず第一に親がいることが無視されている。
結婚式とは、子供を一人前まで
手塩にかけて育ててきた親たちが、
「おかげさまで、この子も世帯を持つまでになりました。
ごらんの通りの未熟者ですから、どうかよろしくお願いします」
と言って披露に及ぶ手続きのことである。
そうした親の願いをこめてやる集まりである以上、
タダにするのが原則であり、客の側から見れば、
懐具合や義理合いに応じて
分相応のお祝いをすればよいことになる。
第二に人からお金を徴収するのと、
自分が負担するのでは肩の荷の重さが違う。
お祝いが多ければ、結果としては
自分で負担する分は少なくてすむかもしれない。
でも、人に出してもらうのと、
自分が最終の責任を持つのとでは本人の覚悟が違う。
結婚式とは、「こんなにしんどいことは
一生に一度でたくさんだ」と実感しなければ
意味のないことであるから、
「励ます会」や「出版記念会」と同じであっては困る。
会費制にするくらいなら、
いっそ何もやらないで海外旅行に行くだけにした方がよいと
私は思っている。 |