死に方・辞めかた・別れ方  邱永漢

去り際の美学

第4回
ちょっと話がある

うちの長男が自分の結婚について、オヤジの私に、
相談があると言い出したのは、
確か息子が二十六歳になってから間もなくのことであった。

二人だけで話をしたいから、
外で食事でもしながらではどうでしょうか、と言う。
外で食事をしながら、と言っても、むろん、
息子が勘定を払ってくれるわけではない。

息子は、一年くらい前にアメリカから帰り、
ずっと私の事務所で手伝いをしていたが、
オヤジの会社においておくと、皆がちやほやして
なかなか一人前になれそうもなかったので、
思いきってマンション建設業をやっている友人のところへ
丁稚奉公に出した。

息子がつとめている会社は、朝八時四五分にはじまって、
夜は九時にならないと退勤のできないモーレツ会社である。
日曜日も休みではないし、
勤務時間中は私用の電話は一切かけられないし、
昼食時は持参した弁当を食べるか、
仕出し弁当を食べるかのどちらかで、
外へ食べに行くことも許されていない。

そんな会社だから、入社した社員の定着率はうんと悪いのだが、
うちの息子は、一年という期限つきということもあり、
またもともと性格的に辛抱強い面があるから
無遅刻・無欠勤といえ精勤ぶりである。

当然のことながら、一緒に飯を食う話も、
息子の会社の休日にあたる水曜日の、
それも私の仕事の終ったあとということになった。

息子が車を運転して、私たちは六本木の、
とある小さなフランス料理屋へ入った。
予め私は女房から耳打ちされていたので、
大体、どの女の子かくらいの見当はついていたが、
息子が自分の方から用件を切り出すまで、
じっと我慢することにした。

しばらく雑談したあとで、息子の方から、
結婚をしたい旨の発言があった。
どの女の子か、と私はききかえした。

そうきかなければ気がすまないほど
息子がつきあっていた女の子は多かったし、
大体、この子にするときめたあとでも、
まだほかの子からしつこく電話がかかってきていた。

息子に言わせると、それは少し前に、
私が参議院の選挙に立候補した時に、
宜伝カーに乗って
うぐいす嬢をつとめてくれた女の子だそうであるが、
息子が狩り出してきてうぐいす嬢をつとめてくれた女の子だって
一人や二人ではない。

「女の子の家はどんな家だね?」
と私はきいた。
「彼女のお父さんは岩手県の一関というところで、
役人をやっています。お母さんは田舎の高校で
音楽の教師をやっています」

「本人は?」
「松下電器の東京支社で秘書課につとめています」

「どんな人だね?」
「パパの嫌いな、下品な女の子のうちには入らないと思います」





←前回記事へ

2012年11月25日(日)

次回記事へ→
中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」

ホーム
最新記事へ