前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第310回
中国人に親しみを持つためには

デンマーク語や英語で「理解」という言葉が「共感」を含むのは、
私に語彙が少ないためのように聞こえました。
しかし、外国の小説などを読んで主人公に共感すると、
同時に理解したことにもなるので、
”当たっているな”とも感じます。
文学でロシアに親しんでいた日本人は、
暗い全体主義の時代のソ連をそれほど嫌悪しなくて済みました。

中国の場合は、
古いものは日本の学校で習うので親しんでいますが、
古すぎて現代の中国人と繋がっている感じがしません。
それに、近代の中国の小説はプロパガンダが多くて、
どうも”私達と同じだ”という感じが湧いてきません。
プロパガンダ小説にはうんざりしますし、
本当の心理も隠しているので共感が湧かないのです。
近代では魯迅などの共感できる小説はありましたが、
読むに耐える作品が紹介されることが少ないのです。

「この若者を、よってたかってでくのぼうのようにしてしまった」
という文章が魯迅の小説「故郷」にあります。
以前、北京で飛行場に行く途中、
交通事故の現場を見たことがあります。
けが人を助けもせずにボーっと取り囲んでいる群衆は、
まるで「でくのぼう」のようでした。
デンマーク人ガイドは
「共産主義の社会で国民はいつでも指図によって動いていたので、
自発的に動けないのです」
と解説しました。
それだけが理由とは思えませんが、
理想を掲げた共産主義も、
依然としてでくのぼうをつくるのに執心していたように見えました。
こういう時代の文学は読んでも親近感が湧きません。

ところが「三毛」という、
となりの猫のようなペンネームの女性が書いた
「サハラ物語」という小説を読んで驚きました。
翻訳ですが、私達は三毛(サンマオ)の
「サハラ物語」の描く心理は理解もできて、共感も持てます。
この本は70年代に中国語圏で爆発的に売れたのだそうです。
読んだ中国人が数億人と知って、
こういうものを愛読する中国人に対して、
私は一気に、敬意に近い親近感を持つようになりました。

ドライな風土に暮らしてやっと落ち着けるような、
ドライで、過敏で、苦しい精神を持った主人公が
サハラで暮らした日々の物語です。

こういう小説は日本でも読まれて欲しいし、
もっと他にあったら読みたいものだ、と思います。


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2005年10月6日(木)

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