前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第136回
スウェーデンからエルサレム

“スウェーデンの田舎のように貧しい”という言葉もあったほど、
昔はスウェーデンも貧しかったそうです。
その貧しかった頃の実際にあった出来事を、
セルマー・ラーゲレーヴという
「ニルスの不思議な旅」の作家が小説にしました。
それをデンマークのビレ・アウグストが映画化しました。

映画は、黒マントの神のセールスマンが、
深い雪に埋もれた、
スウェーデンの田舎に現れるところから始まります。
昔のマカロニ・ウェスタンのような出だしです。
エルサレムにある、新興の外国人教団から派遣された、
この曲者の牧師は、その村で布教に成功します。
そして沢山の村の住人が、
エルサレムに集団移住して行ったのです。
雪深い、北国の田舎の村の住人達が、
太陽に焼かれた茶色の町に移り住んで、
神の下に共同生活を始めます。

無慈悲な現実に出会って、
挫折する人々の1人が若いヒロインです。
自分を裏切って、
他の女性と結婚した元恋人を、許すことが出来ずに、
砂漠の町に移住する女性でした。
元恋人の主人公も、生活を始めた結婚相手を置いて、
過去の清算のためにエルサレムに向かいます。
来てみればエルサレムは、
他教徒同士だけでなく、宗派同士が互いに反発しあう町でした。
ヒロインはそのエルサレムで、
苦しみの中から、許せない人を許すことができるようになります。
そこで初めて、自分をずっと思い続けてくれていた、
もう一人の若者を受け入れることが出来るという物語です。
この映画の一つのテーマは“許し”なのです。

教団や異教徒の反目しあう、
モザイクのようになったエルサレムでは、
“許し”は非常に難しい課題のひとつです。
その執念深いこと、日本人にはピンと来ないところがあります。
日本人の特徴というか、美点のひとつは、
許すことが出来ることかと私は思います。
その反面、人を苦しめたこともすぐ忘れます。
日本以外の国の人が、
日本人が原爆を落としたアメリカを恨んでいると考えるのは、
自分達の常識から判断しているからです。
自分の常識で、よその国を判断してしまうのは、
日本人もまったく同じで、間違いを犯しています。
というか、自分の常識でよその国を判断してしまうのが、
普通なのでしょうね。

中国や韓国が日本は“反省しない”と言い続けるのも、
自分達の常識では、そうとしか思えないからでしょう。
そこで、その表れと見られる日本人の行為ばかり選んで、
マスメディアに載せることになるのでしょう。
風聞を信じて日本に来てみたら、
反対に“案外、反省ばかりしてクヨクヨしている人が多い”
と思うようです。
その反省が、的を得ているかどうかは別の話ですが。
自分の国の常識が、他の国の常識と同じでないことを知らないと、
お互いに不信感ばかりがつのります。


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2005年1月21日(金)

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