前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第46回
神を信じない牧師さん

デンマークではこの春に一人の牧師が
「創造主としての神」を信じていないと公にして
騒ぎが始まりました。
教会側の人は神を全面的に信じられない牧師は辞めるべきだ、
というの意見が多かったのです。
信者の方はアンケートでは教区の45%が辞めなくても良い、
40%が辞めるべき、15%がその他でした。
牧師の中にも「牧師でも信じていない人はもっといると思うよ」
と言う人もいました。
心を打ち明けた誠実な牧師なのか、
信じていないのに牧師をやってた不誠実な人なのでしょうか。
結局その牧師は解雇されました。
神の言葉を語る人がそれではやっぱり困るということでしょうね。
男同士や女同士の結婚式をしてくれる教会もありますが、
信仰の足りない牧師の存在は時代の先端なのでしょうか。

デンマークではカトリックの国と違って、
教会の席はあまり満席になりません。
私達のうちの近くの教会は、
コンサートといえばポップのミュージシャンを呼んできたり、
何やかやと食事の会を開いたりしています。
オルガンの演奏会は年に一度有るか無しで、
教会の鐘さえ余りならないのです。
デンマーク人と話すとまったく宗教性の感じられない人も多いです。

私は旧約聖書を初めて読んで、そのあまりに酷い話にあきれました。
砂漠の生存競争を描いた悲しくもドライな物語です。
父と兄を騙して家督権と祝福とやらを手に入れると、
その騙された兄の方が
「騙されるようなダメな奴」と烙印を押されて
父から見放されるのです。
「異教徒は皆殺しにしてその財産も焼き尽くせ」と
ほかならぬ神がのたまうのです。
今日、原理主義者達のうちの過激派というか、
元々犯罪者の素質を持った人がところを得たというか、
そういう人がテロ活動をしているように見えます。
旧約聖書は今も中東の民の心にそのまま生きているのでしょうか。
その行動も旧約から
「この神を信じる者さえ生き残ればよい。契約さえ守ればよい」
と、何をしても肯定されているような趣です。
こんなのを読んでいると、
我々の常識から見るとろくでもない人間ばかりが
出てくるような気がします。
外来人などの困っている人を救済する掟も載ってはいますが・・・。
旧約の世界観の人が我々を見たら、
やっぱり不信心でとんでもないろくでなしに見えるのでしょうか。
とにかく世界は伝統と常識の違う人々の寄り集まりなんですね。


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2004年9月20日(月)

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