前川正博さんはこうして
福祉の国で、国にたよらずに根をおろしました

第33回
またまた忙しくなりました

店も三軒目となると投入する金額も増えてきてます。
いよいよ意見が合わなくなってきて、
共同経営はどうしても不可能になりました。
私は今度は新しくもう一人に経営参加してもらって、
一人一店長で精一杯頑張ろうと思ったのですが、
そういう考えは甘かったのが良く分かりました。
N君は無借金で彼の望みの一号店をとることになって、
私は二号店と新しい店と借金を引きとりました。
借金は元々私だけが個人で借りていたのでスムーズにいきました。
二店だけになってみると今度は本当の赤字でした。
自分の給料を取ってないのに店の銀行口座の残金が増えないのです。
初年度は設備や人件費がかさんで、
借金の返済や償却費を入れると400万円ほどの赤字になりました。

店は「ハイクォリティで、普段の値段も安くて、早くしあがる」
と宣伝しても思ったほどには客が集まりません。
三種類の新聞に大安売り宣伝して
一人一人のお客にどういう理由でこの店に入ったか
アンケートをとりました。
すると、店のショーウィンドー、知り合いが勧めたから、
無料のローカル新聞、発行部数最大の新聞、
同じくらい発行されているお昼のタブロイド新聞の順でした。
そこで新聞は宣伝費だけで発行している
無料のローカル紙に週二回二年間宣伝を載せました。
それでも売り上げが足りなかったので、
店を辞めていく人の補充をしないで店を続けました。
これではやっていけないので
二年目は私は一人で新店で働きました。
私は、またまた大変になってしまいました。
新店は頑張れば一人半ぐらいの仕事の量を
三人で働いていたのです。
でも、夏場以外の季節には、
やれば一人でもできる程度の仕事量しかなかったのです。
もう一軒の方は
以前に教えていた子供のソフトボールチームのケンという子が
一人で働いていました。
ケンは野球が好きになって、
後には店を休んでアメリカに野球留学に行くほどになりました。
今はソフト・ボールと野球のデンマーク代表チームのメンバーです。

妻はその頃はノキアという
フィンランドに本社がある会社の
携帯電話の開発部に勤めていました。
店の忙しいときは仕事が終わってから駆けつけました。
夏の忙しい時期は夏休みをとって店を手伝いに来ました。
その他に忙しい期間は学生にアルバイトに来てもらいました。


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2004年9月1日(水)

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