服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第832回
おしゃれの根源を考えてみよう

三田のキャンパスへ行ったことがありますか。
言うまでもなく慶応大学です。
若者たちが学園内を行き来しているのは、
清々しい印象があります。
寅さんではありませんが
<勉学者諸君!>、と呼びかけたくなってきます。

さて、そんななかのひとりに、
学生服を着た青年がいました。
極端にデフォルメされたそれではなく、
ごく標準的な学生服を。
今でもいるんですね。
この時、ふっと思ったのは、
学生服を着てみるのはどうだろうか。
むろん金ボタンでは困りますから、
ふつうの背広のボタンに替える。
昔ながらのライト・グレイの
小倉(こくら)の学生服もいいなあ。
いっそ純白の学生服はないものだろうか。

シングル前の5つボタンで、立襟のデザイン。
考えてみればこれこそ現在の
背広の原型でもあるわけです。
では、その原型をどんなふうに着こなすか。
立襟をどんなふうに開けるのか。
下にはどんな組合わせをするのか。
前ボタンはいくつ、
どんなふうに留めるのか。―
空想は次つぎと拡ってゆきます。

ところで私が学生服を着ると、
学生に見えるか。
さて、どうでしょうか。
さらにはそれが学生服に見えるかどうか。

世間一般でよく
「趣味の良い服」ということがあります。
もちろん私も、趣味の悪い服より、
良いほうが好きです。
けれども、「趣味の良い服」を着たなら、
誰もがすぐに趣味の良い男になれるのか、
ここが問題です。

言うまでもないことですが、
ヒト+フク=おしゃれ、であります。
この場合、ヒトの力が大きく出るのか、
それともフクの力が大きく出るのかで
かなりの違いがあるでしょう。
あまりにフクの力が強すぎる時は
ヒトがフクに負けているのです。
ヒトがフクの家来になってしまう。
これではおしゃれ以前の問題。
フクはあくまでもヒトの付属品であるからです。

つまり骨のズイまで洗練された男であれば、
多少趣味の悪い服を着ても、
それがおしゃれになってしまう。
つまり本当のおしゃれとは、
自らの人間性を磨くことにあるのです。


←前回記事へ 2005年5月19日(木) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ