| 第828回ある一冊の本から考えること
 生地屋をのぞいてみることがありますか。私は生地屋へ行くのが大好きです。
 何を買おうというのではない、
 何を仕立てようというのではない。
 まさにジャスト・ルッキングのことが多い。
 パン屋にパン屋共通の匂いがあるように、
 生地屋には生地屋の匂いがある。
 店に入ったとたん漂ってくるあの匂いに、
 懐かしさを感じるのです。
 なにか心が落着かないような時、
 生地屋へ入ってひとまわりすると、
 私はすっかりいつもの自分を
 取りもどすことがあります。
 今、ここに一冊の本があります。題して『フランスの布』。
 副題に“アンティーク・プリント 1946-1959”と書いてある。
 今からざっと半世紀前の、
 プリント生地ばかり集めた本なのです。
 (文化出版局刊 1,800円)
 「フランスの布」というと、すぐにオートクチュールの世界を想像して、
 豪奢の極緻かと思いますが、
 そうではありません。
 基布はたいていコットンやリネンです。
 プリント地の生地のことを基布(きふ)と言います。
 プリント柄の多くは童画の世界そのもので、
 しかもごくごく素朴なものです。
 少女のサマー・ドレスを仕立てるのに
 最適であったろうと思われます。
 柄自体もナイーブなら、配色もまたナイーブで、
 下手なビタミン剤よりも、
 はるかに元気を取りもどす効果がありそうです。
 つまり生地屋を2、3軒はしごしたくらいの
 効力はあるのではないでしょうか。
 第二次大戦直後のフランスでは、母が子に服を仕立ててやるのは、
 さほど珍しいことではなかったのでしょう。
 この事情はなにもフランスだけのことでなく、
 もちろん日本でも似たようなことがありました。
 今、私は生地と型紙を買って、子供に服を作ることは絶えてありません。
 でも、かつてそんな時代があったことは忘れたくない。
 服だけに必ず、なんでも買えば良いのではない。
 下手でも不器用でも、
 自分で作れるなら作るべきです。
 感情がこめられていないものより、
 心あるもののほうが、
 はるかにおしゃれなことなのですから。
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