服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第741回
新しい時代の新しい門をくぐるために

あけましておめでとうございます。
本年もどうか、よろしくご愛読のほどお願い申上げます。
さて、今年は酉年でありますから、
トリの話を致しましょう。

ただしトリはトリでも鳥居(とりい)の話。
神社に初詣に行く。
と、誰だって一度はこの鳥居をくぐりますね。
あの鳥居のおはなし。
要するに神社の門ですね。
なぜそれを鳥居と呼ぶのか。
実は定説はないそうです。
むかしむかし、天照大神が天の岩戸にこもった時、
神秘のにわとりである長鳴鳥が啼いて
ときをつげたので、
大神が岩戸より出て来られた。
これ以来神前には鳥のとまり木を作るようになった。―
むろんこれは伝説でありましょう。

インドの「トラーナ」が語源であるとか、
中国の「華表」が原型であるとか、
様ざまな説があるのですが、
本当のところはよく分っていません。
日本では宝亀2年(771年)2月13日の定めのなかに
「鳥居一基」と出てくるのが、
最初であろうと考えられています。
比較的簡素な鳥居としては
「神明鳥居」があります。
これが「鹿島(かしま)鳥居」、
「八幡鳥居」「明神鳥居」となってくると、
少しずつ複雑な構造になってきます。
もともとは檜(ひのき)などを使った木鳥居で、
塗鳥居は奈良時代以降、
石鳥居は平安時代以降にあらわれたものだそうです。

鳥居のいちばん上にある横木、
これを「笠木(かさぎ)」と言います。
その下のやや短い、
平行して置かれる横木は「島木(しまぎ)」。
それらの中央で支える短い柱のことを「額束(がくつか)」。
額束の下の横木を「貫(ぬき)」と言います。
従って鳥居の高さ、空間のことは、
「貫下(ぬきした)」と呼ばれます。
左右に位置する鳥居の柱の下の保護部分を「藁座(わらざ)」。
さらにその下の石の土台のことを「亀腹(かめはら)」、
または「まんじゅう」と言います。

結局のところ鳥居は
俗から聖へ入るための
精神的な門であったのでしょう。
私たちも今、まさに2005年の鳥居をくぐったのです。
過ぎた古い年のことは忘れて、
新しい時代に新しい挑戦をしようではありませんか。

※次回の掲載は1月5日(水)からとなります。


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