服飾評論家・出石尚三さんが
男の美学をダンディーに語ります

第485回
念力の研究

女神がほほえんだ瞬間、
というのを感じたことがありますか。
ゴルフでパターを決める時、
白い球がゆらゆらと動いて、
突然、左に傾いてカップに落ちる。
これはもう女神が息を吹きかけてくれたとしか思えない。
人生には女神がほほえむ瞬間があるものです。

では、なぜ女神はほほえむのか。
もちろんほほえむ時と、ほほえまない時がある。
いったいどうしてなのでしょう。
私はこれは「念力」と関係があるのでは、と考えています。
「念力」が女神に伝えられた時、
小さな、あるいは大きな奇蹟が起きる。

「念力」(ねんりき)とは何か。
念力(ねんりき)にはふたつの意味があるのだそうです。
(1)「一心に集中された精神の力」
(2)「精神による遠隔操作」
私がここで使っている「念力」は、
(1)の意味です。精神の集中力。
でも、ゴルフのパターでは、
誰でも精神を集中するのではないでしょうか。
念力、念力、念力・・・。

クラブで球を打つ時、
人にはざっと3種類の考え方があります。
(1)「難しいなあ」
(2)「もしかしたら入るかも」
(3)「絶対に入る」
このうちの(3)がはっきりと確信された時、
はじめて念力となるのではないでしょうか。
ただ「絶対に入る」とつぶやいただけでなく、
すべての精神を集中して、心の底からそれを信じる。
それが念力であろうと思うのです。

また念力を別の言葉に置き換えるなら、
「願う」ということでしょう。
願えば叶う、という時の、願い。
心の底から、すべての精神を集中して、願う。
これが念力であり、女神のほほえみへと
つながってゆくのではないでしょうか。

なにかひとつのことを成就させようとする時には
必ず、念力を使う。
すべての精神を集中して、「そうであるように」と願う。
強く願うということは、
決して神だのみではありません。
強く願うからこそ用意周到に準備するのであり、
自分の心をすべてその一点に集中するということなのです。
もしそれを「念力」というのなら、
私は素直にその力を信じたいです。


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