“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第387回
天然ものも味が変わってきている?

我が家には狭い庭があるが、
幸い蕗の薹が2月には顔を出す。
しかし、今年は寒いせいか、
先日、庭を探したら一つしか見つからなかった。
もう開き始めていたが、それを湯がいて夕食に食べてみた。

びしっとした本格的な苦味があって、
街中のスーパーや八百屋で売っている蕗の薹とは随分違う。
蕗の薹の苦味は、
春へ向けて身体を元気にしていく成分が多く含まれている。
そのために、この苦味をこの時季に食べると、
身体が喜んでいるのが分かる。
我が家の庭はほとんど手入れもしないまま放ってあるので、
自然に近い状態だが、
それで、きちっと苦味がつくのかも知れない。
最近売っている蕗の薹は
苦味が少ないものが多くなってきている気がする。
この日は、秋鹿の雄町で醸した山廃純米と合わせたが、
その切れのよい芳醇な味わいと蕗の薹の苦味がよくあった。

天然ものとして売っているものも、
何か野性の独特の癖が少なく、
食べやすい味わいになっていることが多い。
これが、蝦夷鹿の肉にも感じられる。
昔の蝦夷鹿が持っていた野趣風味が
何か不足しているような気がする。
近年、北海道の山は開発によって
蝦夷鹿の食べるものが少なくなってきて、
民家の多い地域まで蝦夷鹿は降りてきているらしい。
そして、人間が作った農作物を荒らすことになる。
数もとても増えていて、間引くことが必要となっている。
そのために、蝦夷鹿の肉が最近では安定供給されていて、
我々はその恩恵に預かっているわけだが、
肝心の肉の野趣あふれる味わいが不足しているのでは、
嬉しさも半減してしまう。

日本の自然生態系が何か変わってきていて、
そのために、天然の食材までも
牧畜したものに近くなっているとしたら、大変なことだ。


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2006年2月21日(火)

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