“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第380回
源流にさかのぼってこそ味がわかる

前回、本物だけを食することを提言した。
しかし、それだけでは素人評論家の域を出ることはできない。
以前、山本益弘氏が
「東京味のグランプリ」でデビューしたときに、
天麩羅なら、天麩羅の名店を毎日食べ続けることを書いていた。
これは、前回の本物だけを食べることに近いので、
料理評論家になるためのスタートとしては正解だと思う。

しかし、それだけでは
素人の食べ歩きのレベルを脱することはできない。
例えば、蕎麦屋であれば、
「蕎麦切りとはどのようにしてできるのか?
 いいそば粉(原材料)とは何か?
 蕎麦打ちの技量とは何か?」
ということを理解してこそ、
いい蕎麦屋かどうか判断できる。

私は蕎麦栽培を始めて、
最初の数年は品質向上のための色々な勉強と努力をして、
美味しい蕎麦を味わえて、初めて蕎麦の味が分かった気になった。
「それまでの蕎麦屋で食べた蕎麦切りはなんだったのだろう?」
とさえ思える衝撃の味だった。
そして、多くの蕎麦屋がいう薀蓄はウソが多いことも分かった。
例えば、
「奥久慈の蕎麦は大子よりも水府のほうが上で、
 うちは水府しか使わない」
などと講釈をたれる蕎麦屋は、勉強不足。
というか、現場をあまりに知らな過ぎる。
蕎麦は畑が一つ違えば、隣どうしであっても、育ち方が違う。
また農家の栽培方法で全く味が違ってくる。

また、以前から紹介している
鳴門の漁師である村公一さんの鱸を
自分で様々な料理にしてみて、
初めて魚の味が分かった気になった。
鱸は足が速いと言われていたが、
三日目になって旨みがでてくる鱸は初めてだった。
そして、魚の臓物がかくも旨いことを再認識した。
村公一さんの漁法、水槽管理方法、〆方、配送方法を聴き、
また、実際に〆ているところに立ち会って、
魚の奥深さがよく認識できた。

このように、よい食材に遡り、それを調理して、味見をする。
その体験を深めることによって、
味の本質が理解されてくるような気がする。


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2006年2月10日(金)

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