第64回
市場経済化は、単なる資本主義の復活ではない その2
九二年の一月、ケ小平が深セン、
珠海の視察をしたのを皮切りに
開放政策は一挙に花咲いた観があるが、
もっとも重要なことは、中国人の一人一人が
「この道を歩けば、生活が豊かになる、これ以外にもう道はない」
と自覚したことであろう。
日本の新聞など見ていても、
ケ小平が死んだらまた保守派による
巻きかえしがあるのではないか、
といった論調をしばしば見かけるが、
いま中国に何が起きているかを知らない人たちの
言辞といってよいだろう。
というのも、
これは政争の対象になるような政策の問題ではなくて、
すでに次の中国を支配する
一大潮流になってしまっているからである。
潮の流れを見てもわかるように、
人為的な力で方向を変えさせられるようなものではないのである。
たまたまこの二、三年は東欧諸国も解体したし、
ソ連邦も瓦解した。
だから中国で起こっていることも
共産主義体制の終罵を意味すると受け取る人は少なくない。
またケ小平が、「資本主義によいところがあれば、
それを採り入れればいいじゃないか」
と発言したのを引用して、
いよいよ中国に資本主義が復活する前兆であると
受け取る人もたくさんいる。
事はそれほど簡単なものではない。
何の抵抗もなしにすぐにも資本主義に戻れるものなら、
そもそももっとも共産主義の根づきにくい中国に
共産主義国家が誕生した経緯が説明できなくなってしまう。
いままで述べてきたことからもおわかりのように、
中国人のような機敏で、かつ計算高い国民に
一番似合わないのが共産主義である。
その共産主義を信奉する軍隊がなぜ天下を制覇したかというと、
それは自然に放置しておけば、
頭のいい連中やすばしっこい連中が天下の富を独り占めにして、
社会的な貧富の差がどうしようもないくらい
大きくひらいてしまうところまで追い込まれたからである。
地方では地主は肥り、小作農や零細農がその分だけ痩せ衰えた。
都会地では資本家が富を集め、労働者は搾取の対象になって、
ろくにメシも食えなかった。
そのすべてが地主や資本家のせいではないのだが、
とにかく地主と資本家を人民の敵として狙いを定めて攻撃すれば、
食えない大衆を見方につけることができた。
共産党のこうした成功を助けたのは、
ほかならぬ国民党政府の腐敗であった。
国民党政府を追い落とす過程で、
少なくとも共産主義には多くの共鳴者があった。
農民や軍隊がそうしたきびしい政権のうしろ楯となったのである。
ところが、いざマルクスの空想した共産党社会をお手本にして
社会体制をつくってみると、
人民公社にしても国営事業にしても、
理窟どおりには動いてくれないし、
共産も思うように効率を発揮しないし、
流通は軽視されて物は思うように出回らない。
中国人は頭の回転が早いから、
中央集権的な管理経済で人民を
貧から救い出すことができないことに
共産党の幹部たちもすぐに気がついた。
劉少奇とか、ケ小平といった現実派は
共産主義からの方向転換を主張したが、
そうした方向転換は毛沢東の勢力失墜を意味したから、
毛沢東側からの反撃がはじまり、
国をあげての政争が国全体を大混乱におとし入れてしまった。 |