第26回
日本文化の本流はフリガナ文化 その2
いまから二十年ほど前、私が二十四年ぶりに
生まれ故郷の台湾へ帰って酒家に案内されると、
日本語を全く喋れない女たちが「長崎は今日も雨だった」とか、
「港町十三番地」などの演歌をバンドにのせて巧みに唄っていた。
見ると、片手に紙切れを持って、それを見ながら唄っている。
思わず好奇心に駆られてそばに寄って覗き込むと、
カタカナではなくて何とフリ漢字をしてあるではないか。
これには驚いた。
外国語の侵入は何も日本だけの出来事ではない。
中国にもドンドン外国語が入ってきて巷に氾濫している。
なかでも外国の有名人の名前を
漢字で表現しないわけにはいかない。
チャーチルが邱吉爾、ルーズべルトが羅斯福、レーガソが雷根、
ブッシュが布殊といずれも漢字名があてられている。
その姓も中国人に実際にある姓になっているから芸は細かい。
しかし、これほど外国人の固有名詞を
フリ漢字で表現している中国人でも、
一般名詞を外国語で表現することは頑なに拒否している。
レストランは餐庁であって、レストランではない。
テレフォンは電話、テレビは電視、コンピュータは電脳、
映画は電映であって、外国語をそのまま使うことは避ける。
明らかに外国から輸入されたものであっても、
その特徴や内容をとらえて中国名前をつける。
自分らの伝統的、個性的なライフ・スタイルがあって、
その中に外国の文物がとり入れられるのであって、
それによって自分らのライフ・スタイルが
豊富になることはあっても、ライフ・スタイルが、
変わってしまうわけではない、
あくまでも自分らの主体性を守ろうという
姿勢を崩そうとはしないのである。
それに比べると、日本人のほうが遥かに情緒的な反応を示す。
会社の呼び方まで変えてしまうくらいだから、
中身が全部変わ ってしまってもあまり意に介さない。
それどころか、中身が同じでも呼び方を変えてしまうのだから、
名前も変われば、内容も変わる。
日本人のこうした傾倒ぶりは、 自分も変えてしまうが、
自分たちが手に入れたものも変えてしまう。
かつて輸入品、舶来品だったものが
日本人の手にかかるとオリジナルとは
似ても似つかぬものに変わってしまい、
そのルーツをさがすのに苦労するほどである。
こうした中国人と日本人の微妙な違いのわからない西洋人には、
いくら説明しても中国人と日本人の区別がつかない。
しかし、漢字とカナの区別のわかる人なら、
外来文化を受け入れるに際して、
日本人のほうが器用で、中国人のほうが
不器用である理由がわかるのではなかろうか。
さきにもふれたように、漢字の一字一字は
それ自体が意味を持っており、
象形文字であると同時に象徴文字でもある。
たとえば、貝という字は
貝殻の形が省略されてできたものであるが、
貝殻をお金として使用した歴史があるので、
お金を意味する「貨」という字ができた。
もともと貝という字にはお金という意味があるから、
お金を集める才能は財であり、
お金と玉器を家の中に集めたものは寶である。
といった具合に現象や動作や思想や物の本質を
字そのもので象徴している。
そういった意味ではよく考えてつくられた文字であるが、
漢字がつくられた当時の人智をこえる
新しい事象を説明しようとすると、
字そのものが不充分であることを痛感する。
とりあえず先端技術や化学薬品は
漢字の表現力をこえてしまっている。
中国人が利学の分野で後れをとったのは、
漢字文化の枠組という固定観念から抜け出せ
なかったせいとみることもできる。
その点、力ナは漢字および漢字文化を取り入れることもできれば、
口ーマ字および口ーマ字文化を
何の抵抗もなしに受け入れることもできる。
中国人は口ーマ字文化の内容をいちいち漢字に翻訳しないと、
現象そのものすら理解できないが、
日本人は漢字にカナをふって受け入れたように、
口ーマ字にカナをふって受け入れることがいとも簡単にできる。
とりわけ西洋文化を取り入れるにあたって制度だけでなく、
それを表現する言菜にフリガナをしてそのまま取り入れることに
ほとんど何のためらいも感じない。
というわけで、外国語の名詞と名詞を
つなぎあわせるだけで新しい日本語になり、
日本人同士で意思の伝達をするのに
何の支障も感じないようになった。
もともとそういう具合にできた言葉であり、
また精神構造だから、
カタカナを使ってけしからんと怒るほうが間違いである。
外国文化にフリガナをすることによって
つくり出されたのが日本文化なのである。
|